古事記 上巻 大国主(二)

 大國主が大宂牟遲おおなむぢの神と呼ばれていた若い頃の後半。大宂牟遲の神が黃泉よみの國である根堅洲國ねのかたすくに須佐之男命すさのおのみことを訪ねて來るところから。

かれ隨詔命而のりたまひしみことのまにまに參到須佐之男命之御所者すさのをのみことのみところにまゐいたれば其女須勢理毘賣出見そのむすめすせりびめいでみて爲目合而まぐはひなして相婚みあひまして還入かへりいりて白其父言そのちちにまをしたまいき
甚麗神來いとうるはしきかみきましつ。」
爾其大神出見而ここにそのおほかみいでみてのりたまわく
此者謂之葦原色許男こはあしはらしこをといふ。」
卽喚入而すなはちよびいれて令寢其蛇室そのへみのむろやにねしめたまいき於是其妻須勢理毘賣命ここにそのみめすぜりびめのみこと以蛇比禮へみのひれを 二字以音ふたじこへをもちふ 授其夫云そのひこぢにさづけていはく
其蛇將咋そのへみくはむとせば以此比禮三擧打撥このひれをもちてみたびふりてうちはらひたまへ。」
かれ如教者おしへのごとくすれば蛇自靜へみおのづからしづまりき故平寢出之ゆえにやすくいねてここをいでたまひき
亦來日夜者またひるよるのきたれば入吳公與蜂室むかでとはちのむろやにいれたまひしほ且授吳公蜂之比禮またむかではちのひれをうけて教如先さきのごとくおしへたまひき故平出之ゆえにやすくここをいでたまひき亦鳴鏑射入大野之中またなりかぶらをおほぬのなかにいいれて令採其矢そのやをとらしめたまひき故入其野時かれそのぬにいりますときに卽以火廻燒其野たちまちほをもちてそのぬをやきめぐらしつ於是不知所出之間ここにいでむところをしらざるまに鼠來云ねずみきていひける
內者富良富良うちはほらほら 此四字以音このよつじこへをもちふ 外者須夫須夫そとはすぶすぶ 此四字以音このよつじこへをもちふ
如此言故かくいふゆへ蹈其處者そこをふみしかば落隱入之間おちかくりしいりにまに火者燒過ほはやきすぎぬ爾其鼠ここにそのねずみ咋持其鳴鏑出來而奉也かのなりかぶらくびきもちいできたてまつるなり其矢羽者そのやばねは其鼠子等皆喫也そのねずみのこどもらみなくひたるなり
於是ここに其妻須世理毘賣者そのみめすぜりひめは持喪具而哭來はふりつものをもちてなきつつきませり其父大神者そのちちのおほみかみは思已死すでにしせぬとおもひて訖出立其野そのぬにいでたちたまふ爾持其矢以奉之時ここにそのやをもちてたてまつりしとき 率入家而そのいへにゐていりて喚入八田間大室而やたまのおおむろやによびいれて令取其頭之虱そのみかしらのしらみをとらせたまひき故爾見其頭者かれここにそのみかしらをみれば吳公多在むかでおおなきり於是其妻ここにそのみめ牟久木實與赤土むくのこのみとはにとを授其夫そのひこぢにさずけたまふ故咋破其木實かれそのこのみをくひやぶり含赤土唾出者はにをふくみてつばきだしたまへば其大神そのおほかみ以爲咋破吳公唾出而むかでをくひやぶりてつばきだすとおもはして於心思愛而寢こころにはしくおもはしていねましき
爾握其大神之髮ここにそのおおかみのみかみをとりて其室毎椽結著而そのむろやのたりきごとにゆひつけて五百引石取塞其室戸いほびきいはをそのむろやのとにとりさへて負其妻須世理毘賣そのみめすせりびめをおひてすなはち 取持其大神之生大刀與生弓矢及其天詔琴而そのおほかみのいくたちといくゆみやまたそのあめののりごとをとりもちて逃出之時にげいでますときに其天詔琴そのあめののりごと拂樹而地動鳴きをはらいてつちとどろきぬくかれ其所寢大神そのいねませるおほかみ聞驚而ききおどろきて引仆其室そのむろやをひきたふしたまいき然解結椽髮之間しかれどもたりきにゆへるみかみをとかすまに遠逃とほくにいげたまいき
故爾追至黃泉比良坂かれここによもつひらさかまでおひいたりて遙望はろばろにみさけて呼謂大穴牟遲神曰おほなむぢのかみをよばひてのりたまはく
其汝所持之生大刀そのいましもたるところのいくたち生弓矢以而いくゆみやをもちて汝庶兄弟者いましままあにおとどもを追伏坂之御尾さかのみをにおひふせ亦追撥河之瀬而またかはのせにおひはらひて意禮おれ 二字以音ふたじこえをもちふる爲大國主神おおくにぬしのかみとなり 亦爲宇都志國玉神而またうつしくにたまのかみとなり其我之女須世理毘賣そのあがのむすめすせりびめ爲嫡妻而むかひめとして於宇迦能山うかのやま 三字以音みつじおとをもちふ 之山本のやまもとに於底津石根そこついはね宮柱布刀斯理みやばしらふとしり 此四以音このよつじこへをもちふ
於高天原たかあまのはらに冰椽多迦斯理ひぎたかしり 此四以音このよつじこへをもちふ
而居てをれ是奴也こやつよ。」
かれ持其大刀弓そのたちゆみをもちて追避其八十神之時かのやそがみをおひさくるときに毎坂御尾追伏さかのみをごとにおひふせ毎河瀬追撥かはのせごとにおひはらひて始作國也はじめてくにつくりたまひきかれ其八上比賣者そのやかみひめは如先期さきのごと美刀阿多波志都みとあたはしつ 此七字以音このななつじこへをもちふかれ其八上比賣者そのやかみひめは雖率來いてきましけれども畏其嫡妻須世理毘賣而かのみむかひめすせりびめをかしこみて其所生子者そのうまれしみこを刺挾木俣而返きのまたにさしはさみてかえりましき故名其子云木俣神ゆへにそのみこのなをきのまたかみとまをす亦名謂御井神也またのなをみいのかみともまをすなり

そして、詔命みことのりに從って大宂牟遲神おおなむぢの神が須佐之男命すさのおのみことの御所に到著したところ、その須佐之男命の娘の須勢理毗賣すせりびめがお出になり男女の仲になられて結婚して須勢理毗賣の家に歸り入りました。須勢理毗賣はその父の須佐之男命に「とても麗しい神が家に來られました。」と申されました。そこでその父の大神がお出でになられて拜見され、この者にこう申されました。「こいつは葦原あしはら色許男しこお(國の中でも指折りのブサイク)である。」
そしてすぐに呼び入れて、御所の中の虵の部屋に寢させました。そこで、その妻の須勢理毗賣命は、魔除けの「虵のひれ」を夫の君に授けて申されました。「その虵たちがあなたを咬もうとしたら、このひれ(布)を三度振りはためかせ鎭めて下さい。」そこで、敎わったとおりにしたところ、虵は鎭まりました。そこで、無事に眠りにつき、朝になってその部屋を出ることができました。
翌日も、夜になったところ、今度はムカデとハチのいる部屋に入れられました。またもや須勢理毗賣命によって魔除けの「ムカデとハチのひれ」を授けられ、前囘のように敎えられたとおりにしたので無事にしのぐことが出來て朝になってその部屋を出ることができました。
また、須佐之男命により鳴鏑なりかぶら(飛ぶ時に音の鳴る弓矢)が大きな野原に射込まれて、その中から、その矢を取ってくるように命じられ、大宂牟遲神が野原の中に入ったとたんに野原の周圍に火を放ち燃やされました。
大宂牟遲神が火に圍まれた狀態で野原から出られなくて困っていると、ネズミが來て言いました。「外はフラフラ、中はスブスブ」こう言ったので大宂牟遲神が今居るところを踏んだところ、宂があって下に落ち、その宂の中で隱れているあいだに火は燃え過ぎていきました。そして、そのネズミは鳴鏑を咥えて持って來て大宂牟遲神にささげました。その鳴鏑の矢羽の部分はネズミの子らにみんな食べられていました。
大宂牟遲神の居た野原が燃え盡きたことで、その妻の須世理毗賣は大宂牟遲の神が死んだと思い弔うための道具を持って泣きながらやって來ました。その父の大神も大宂牟遲の神が死んだとお思いになったので野原に入って立っておられました。しかし、大宂牟の遲の神が現れて、取って來いと命じた矢を持って須佐之男命に捧げたので、須佐之男命は大宂牟の遲の神を家に連れて戾られて入りました。大宂牟遲神は八田閒の大部屋に呼び入れられて須佐之男命の頭のシラミを取るように命令されました。
そこで、その頭を見たところ、シラミではなくたくさんのムカデがいました。
そうしたところ、妻の須世理毗賣はむくの木の實と赤土を取ってきて夫の大宂牟遲神に與えました。大宂牟遲神はその木の實を噛んで破り赤土を口に含み 一緖にペッペと吐き出されたところ、須佐之男命はムカデを噛み破って唾と共に吐き出されたとお思いになり、すっかり心から大宂牟遲神を愛らしくお思いになって眠られました。
そこで、大宂牟遲神は須佐之男命の長い髮を握り、その部屋の屋根を支える垂木たるき每にくくり付けて、五百引いおびきの(五百人がかりで動かすような)大きな岩でその部屋の入口を塞ぎ、妻の須世理毗賣を背負い、さっと須佐之男命の生大刀いくたち生弓矢いくゆみやと、また天詔琴あめののりごとを奪い取って逃げ出そうとした時に、天詔琴が木の枝をはらい大地が動くほど大きな音で鳴り響いたので寢ていた須佐之男命は驚いて起き上がりましたが、髮が建物に括り付けられていたのでその建物を引き倒しました。しかし、須佐之男命が垂木に結ばれていた髮の毛をほどいている閒に遠くに逃げました。
そうして、須佐之男命は黃泉比良坂よもつひらさかまで大宂牟遲神たちを追いかけましたが、大宂牟遲神たちは遙か先にいたので、大宂牟遲神たちに叫んで言われました。「その、お前が持っていった生大刀と生弓矢でお前の兄弟たちを坂の峰まで追いかけて屈服させ、川の瀨まで追い詰めて滅ぼせ。お前は大國主の神となり、また宇都志國玉うつしくにたまの神となって我が娘の須世理毗賣を正妻にして宇迦能うかのの山の麓に、地の底の岩まで掘って太い宮柱を建て、千木(屋根の上に飛び出た木)が高天原に屆くような宮殿に住め。こやつめ。」
こういうことがあって、大國主の神(大宂牟遲の神)はその兄弟である八十神達を追い拂う時に坂の峰ごとに追いかけて屈服させ、川の瀨ごとに追いかけて滅ぼしました。そして國造りを始められたのです。

さて、八上比賣は先に書きましたように大宂牟遲の神と結婚されておりました。そこで、八上比賣は大國主の宮殿に一族(子)を連れてやって來ましたが、その正妻の須世理毗賣を恐れて(氣後れして)、その生まれた子供を木のまたに挾み入れて稻羽の國にかえりました。そこで、その子を木の俣の神、またの名を御井みいの神といいます。

 大宂牟遲の神が須佐之男命の館を訪れたところ、出てきた娘の須勢理毗賣すせりびめとまさかのビビビ婚。大宂牟遲の神は須佐之男命に助けて貰おうと思ってやって來たのに、須佐之男命は娘を取られたのがよほど氣に食わなかったらしく大宂牟遲は須佐之男命によって何度も死にそうな目に合わされます。今居るところが死者の國だからもう死なない氣もしますが。
須勢理毗賣は何故か大宂牟遲にぞっこんだったらしく何度も助け舟を出します。須勢理毗賣の助けが及ばない野原でも運良くネズミが助けてくれました。この時は大宂牟遲が助からなかった思って須勢理毗賣が泣くほどで、流石にバツが惡かったのか須佐之男命は大宂牟遲を家に連れ歸って近くに置いてやりました。そして頭のシラミを取らせるのですが、それがなんとムカデ。書かれてはいないもののどうやら須佐之男命も死んでかなり經つようです。
大宂牟遲と須勢理毗賣は須佐之男命が眠っているスキに彼のたから物を奪って黃泉比良坂を通り拔けてこの世に戾って來たのは良いのですが、この二人の身は大丈夫なのでしょうか。おそらくこの二人も死んだままの筈。
そして、八十神たちも討たれたか降伏しても恐らく殺されているので全員亡き者に。
大國主の元にやって來た八上比賣は子供を木の俣に挾んで國したわけですが、前囘も書いたように木の俣は死者を埋める所を暗示しているので、その子供は死んだと推測されます。八上比賣が連れて來た時には旣に死んでいたとすると大國主らの墓の近くに埋めに來たと考えることも可能。つまり大國主の周圍しゅういは八上比賣以外に生きている人がいないと考えられます。

 これは、大國主の國造りは大國主ら自身が行ったのではなく彼らを祀った人達によって行われたと考えればよいのでしょうか。